板書
2.日本の精神保健医療看護の歴史
1)古代〜中世(奈良〜安土桃山時代)
2)近世(江戸時代)
3)近代(明治・大正・第二次世界大戦まで)
4)現代(昭和・戦後〜平成)
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説明 ○テキストP.123
○ |
精神病者の症状を憑物と考え,加持祈祷や滝治療などが行われていた. |
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説明 ○テキストP.124
○ |
『御定書百箇条』に精神病者の親族の監督責任が明記されたことにより,籠や座敷牢への拘禁主義が始まる.
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説明
○ |
乱心は病気という認識が広がり,薬物療法,灸治,滝治療などの民間療法が行われるようになったが,多くの精神病者は監禁されていた. |
○ |
江戸中期になると,精神疾患を専門にする者が現れた.
漢方医;原因は内臓の不調や障害
蘭方医;原因は毒の脳髄への攻撃や神経の運行異常
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説明 ○テキストP.125
○精神病院の設立(寺院からの派生)
公立病院の設立
京都府癲狂院
東京府癲狂院
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説明
○ |
近代化が図られる中,精神衛生の行政は立ち遅れ,監禁・放置が続く. |
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指示
○ |
テキストP.126のプラスα「相馬事件」を読む. |
説明
○ |
明治12年に始まる旧相馬藩のお家騒動は,精神患者に対する法的不備が明らかになり,世間の関心をひいた事件であった.
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説明
○ |
1900年に精神病者監護法が制定.不当な監禁の防止が目的であったが,私宅監置は認められたことで合法的な患者の拘禁が増加し,精神病院の建設は進まなかった. |
○ |
精神病院は警察の管轄下となり,救助人や看護人(おもに男性)によって行われた看護は監視が主となり,援助は最低限のことにとどまった.
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指示
○ |
テキストP.127のプラスα「呉秀三」を読む.
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説明
○ |
東京府巣鴨病院の院長に就任した呉秀三は精神疾患の考え方を紹介し,精神医学に影響を与えた.また日本のモラル・トリートメントの理念を目指した. |
○ |
呉秀三が取り入れた作業療法の構想は加藤普佐次郎に継承された.
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○ |
治療環境の整備・作業療法・構外での運動の開始.
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説明 ○テキストP.128
○ |
1919(大正8)年,精神病院法の成立
都道府県による公的病院の設立が義務づけられる. |
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説明
○ |
精神看護教育の特殊性
日本の看護教育は女子を対象に行われており,精神病院に従事する看護人は男性が多いため,独自の看護者の養成を行っていた.
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説明 ○テキストP.129
○『新撰看護学』の出版
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説明
○ |
1940年国民優生法(精神疾患・知的障害も断種手術の対象)が公布され,精神疾患に対する偏見を助長する一因となった. |
○ |
1948年優生保護法成立
遺伝性疾患・精神障害・知的障害・ハンセン病も優生手術の対象となる.
資料「優生保護法について」を参照する.
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説明
○ |
食料難,人員不足により精神障害者の生活は困窮した.
・松沢病院−患者の40%が死亡
・全国の病床数の減少
25,000床(1940)→4,000床(1945)
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説明
○ |
1917年 進行麻痺に対するマラリア療法
1922年 持続睡眠療法
1930年代から |
インスリンショック療法,カルジアゾール・電気けいれん療法,前頭葉切除術 |
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○ |
上記の治療法は身体の侵襲が大きかったが,患者個人より治療の進行が重視された.
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指示
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説明
○ |
1950(昭和25)年精神衛生法制定により私宅監置は禁止となり,民間の精神病院の設立が続き,患者は病院が永住の地となった.
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説明
○ |
1950年初頭,本格的な薬物療法開始
(クロルプロマジン,塩酸プロマジン,ハロペリドール)
生活療法の展開
病院の開放化
↓
しかし社会の受皿が乏しいため,院内寛解・回転ドア現象が生じる.
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説明
○ |
1964年のライシャワー駐日大使刺傷事件により,翌年,精神衛生法が改正され,他害の恐れのある精神障害者の取締りが強化されるようになった.同時に精神医療における地域中心の理念が掲げられたが,十分な施策は得られず,病院数・病床数は増加した. |
指示
○ |
テキストP.132のプラスα「クラーク勧告」をみる.
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説明
○1968年,クラーク勧告
○ |
病院の閉鎖性,劣悪な環境,薬剤の多用,民間病院の営利主義が問題 |
○しかし,少しずつ開放化へ
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説明
○ |
生活者の観点を通して提唱された統合失調症者治療の概念.地域での再発防止と予後の改善を目指す働きかけ.
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説明
○ |
1960年頃より精神障害者の家族による組織活動が始まる→全家連
2007年4月に解散となった. |
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説明 ○テキストP.132
○ |
1984年 |
宇都宮病院事件
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1985年 |
「精神病院入院患者の通信・面会に関するガイドライン」(厚生省)
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1987年 |
精神保健法成立
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指示
○ |
テキストP.132のプラスα「ハトを飛ばす」を読む.
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説明
○ |
ノーマライゼーションの理念の推進
入院中心の医療への批判
↓
外来通院者の増加
病床数は減少せず,脱施設化には結びつかない.
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○ |
1980年代,社会復帰施策の広がり,生活技術訓練(SST)の普及 |
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説明
○ |
1983年から「国連障害者の10年」
1993年 心身障害者対策基本法
↓
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障害者基本法
精神障害も対象になるが,福祉対策が整っていなかったので福祉の概念を加え,
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↓
1995年 精神保健福祉法と改正
精神障害者を疾患と障害の両面からとらえる. |
○ |
「障害者プラン:ノーマライゼーション7カ年戦略」(生活訓練施設,デイケアの数値目標,欠格条項の見直し推進) |
○ |
1997年 |
精神保健福祉士法 |
1999年 |
精神保健福祉法改正 |
2002年 |
新障害者基本計画及び重点施策実施5カ年計画(新障害者プラン)
入院医療主体からの転換の施策が示される. |
2005年 |
障害者自立支援法 |
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